石鹸を英語で言うと「soap」です。

石鹸を英語で言うとsoapですが、石鹸自体は英語圏発祥のものではないようですね。歴史によるとB.C.2800年ぐらいのときから石鹸に近いものが作られていたそうです。ローマの神話によると、「soap」という言葉はマウント・サポという、動物の命を人類がいただいて自分たちのために利用していた有名な土地から来ているそうです。そのときの石鹸は主に動物の脂などでつくられていたみたいです。

それとは別に、英語では昼ドラのことはsoap operaと言われていますね。これは放映されるドラマの時間帯がちょうどお昼どきであるため、その時間帯に自宅で洗い物をしていた女性たちが観ていることが多かったという文化から来ている言い方だそうです。そしてその時間帯のコマーシャルには洗剤のものなどが多かったそうですね。なんだか納得行く概念です。

石鹸そのものの話に戻りますが、日本は世界でもかなり衛生的に優れている国として知られています。レストランでもおしぼりが提供されたり、自宅やデパートのトイレがウォッシュレットだったり、エスカレーターの手すりが抗菌のものだったり、何かと菌に対して敏感な国です。でもそういう国であるにも拘わらず、私自身は一つ気づいたことがあるのです。石鹸に関しては、デパートのトイレやレストランのトイレでは置いてあることがほとんどですが、結構な確率で駅のトイレや公園のトイレ、道端にある公衆トイレなどでは石鹸がない場合が多いです。

それも皮肉なことに、駅のトイレの場合、それもとりわけ東京などの大都市の場合ですが、トイレはウォッシュレットで手を洗うためのシンクは自動なのにも拘わらず、なぜか手を洗うための石鹸は置いていない場合が多いのです。最近は石鹸を置く駅も少しずつ増えてきたものの、置いていない駅が依然として多いのです。なんだかアンバランスな光景に感じるのは私だけでしょうか。

ちなみに台湾や東南アジアなどに旅行した際に気付いたことがあります。トイレそのものは汚くてろくに流れない場合でも、結構シンクの横に石鹸はしっかり置いてある場合が多かったです。はっきり言ってこちらの方が衛生面に関しては衛生的ではないかと思ってしまいます。用を足した後には石鹸で手を洗うことにより初めて手に付着した菌が洗い流されますからね。

こういった石鹸事情に関してこだわりを持っているのは私ぐらいかもしれませんが、公共の場でのトイレのシンクには石鹸は置いておくべきだと思います。人々の衛生面を守るためには大事なことだと思っています。ローマ発祥の石鹸は日本では色々な形や香り、効果を持っているものになっています。公共の場でもそういった石鹸に是非活躍していて欲しいものです。